派手な雷鳴が轟いている。
電車とか止まるかな、早く帰ろう、という会話が方々から漏れ聞こえてくる。

台風の日に、どうせ空いているだろうと魚三市場へ行ったが、同じことを考える人はいるもので結構混んでいた。 でも東西線が止まっていて立ち往生している人たちも多く、何考えてんだこいつら、と優越感に浸りながら、大江戸線で帰ったものだった。

今回は、雨がピークのときに、宅配ピザでも呼んでみるかな。


追記:
ピザーラを呼んでみた。
良心が痛んだ。
発想は悪くなかったんだが、してやったり、という気分には程遠かった。

失礼な耳

foo fightersのアルバムをiPodに入れて聞いてみた。
ヘビメタさん」で、ニルヴァーナの話題が出て、ちょっと懐かしい気分になって。

丁度、自由ヶ丘から北千住へいく用事があったので、リピート設定にして半分睡眠モードで・・・・。

印象

なんか、似たような曲ばっかでつまんないなーーーー


・・・・・・・・・・・


iPodのリピートモードが「一曲」になっていました。
そりゃ、似たような曲しか聞こえてきませんね。
半眠りの長距離電車の中とはいえ・・・・・
いい加減、気づけよ、と。

すいません、曲の違いも聞き取れない耳で失礼な感想を持ってしまいました


中秋の名月らしい。
この日を越えると月餅は本来は食べられない。
北千住の予定を終えると、空は透きとおって、いやらしいくらいの月が空に鎮座していた。

北千住の駅前の再開発は地味であるが顕著で、ルミネ、マルイのある口では、地場の店からは月が見えない。

再開発から取り残された商店街の一角からあまりに丁度良く月が見えるスポットが。


すいません、ここ座らせてもらっていいですか?

と居酒屋にお願いすると快諾。

電柱とのれんの間から赤々とした月が。

月見つくねを注文し、その月が商店街の景観か隠れるまで堪能。

1時間でも月は結構な角度が動く
1時間に15度。
大した角度ではない。 
   はずだ。

スキー場の角度と同じ位の疑心を持って、これって本当に15度?
と思うくらい、月が動く

月を探して、不慣れな町を彷徨う。

なにやら盆踊りをやっていたらしい残り火。
地場の公園。

寄り合い所で盛り上がるおとうさんたち。
公園で戯れるその子供達。
普段では、外で遊んでいる時間ではないのだろう、少々興奮気味。

砂場の横のベンチから子供達、上気したおとうさんたちを肴に月を見物。

暗黙の了解か、10時を過ぎろと子供達もおとうさんたちも姿を消した。
さっきまだ、子供達の基地であった、砂場の滑り台がさびしそうにたたずんでいる。





ほんの7−8mなんだろう、高さは。
でも、なんて空が広くなるんだろう。
なんて月が明るくなるんだろう。

このまま、ここで寝てもいいな、という気温ではあった。
毎日が夏の終わりだったら、清朝の労働者もアヘンを吸わずとも寝て暮らしたに違いない。
その場でころがってしまいたかった。

xxxxさんですよね?

かなり久しぶりに、行きつけの八丁堀「川」へ行った。
昔、別の金融系プロジェクトをしていた時は、かなり足しげく通ったのだが。
その頃は、席に座れば、黙っていてもキープしていた「亀甲宮」の一升瓶が出て来たものだった。そのボトルには「威厳なし」「泥酔」などなどプロジェクトメンバーに好き放題の名前を書かれていたものだ。

今のプロジェクトメンバーと一緒に行くのは考えれば初めてだなぁ、と思いながら、店に入る。 さすがにボトルは残ってないだろうなぁ、と思いながら、乾杯のビールを飲み終わった後、「xxx(苗字)なんですけど、ボトル残ってます?」と聞いてみる。
店員の女性はちょっと考えて、「xxx xxxxさんじゃないですよね?」とフルネームで問いかけてくる。 「え、それ私の名前ですか? え?」 「あれ? あ、そうですか。わかりました、すぐ持ってまいります」 とものの数秒でボトルが出て来た。 何か釈然としなかった。 その後別のオーダーをするときに「さっき、なんでフルネームで確認したんですか? 結構同じ苗字の人多いとか?」と聞くと、ちょっと困ったように「えっと・・・、いつものおじさんと違うから・・・・」

・・・・?・・・・・
いつものおじさん?

「え? その人は良く来るの?」
「はい、よくいらっしゃいます」

だ・誰だ!!!???

ピーン! 心当たりはある。
来週確認してみよう。

繁忙日

「ごとうび」という言葉あるように、商習慣上の繁忙日というものが存在する。 金融取引において、本日はそれに当る。月末と月曜日が重なっているからだ。 詳しい理由はここで述べてもしょうがないが、変えようの無い事実なのだ。 ちなみに、今年は、1/31と2/28と10/31がそれにあたる。 金融システム関連に携わっている人は、この日をX-Dayとして各種対策を実施する。 朝からの会社のフロアはそこはかたとない緊張感につつまれ、朝出が大嫌いの俺でさえ、1時間以上も早く席に座っている。 しかし、それには特に意味は無い。 ポーズだ。 1/31は、あれよあれよと、処理があふれていくシステムを指をくわえたまま「がんばれ、昼休みはあと20分だ!」と心のエールを送る程度のことしかできなかった。(個人取引は昼休みに超集中するのだ) 今回こそは、少しは、と思い、一月それなりに準備をしたが、所詮できることなどたかが知れている。なんて無力なんだ。 人間の作ったシステムに人間が翻弄され、なす術も無い無力感を感じるのは、なんかちょっとしたプチSF気分だったりする。 いっそのこと、システムが意思を持ち初めてくれれば、俺達の仕事も楽に・・・なるのかな。。。 それこそ、俺がこんなきつい日なのに、お前達は朝から待機しようっていう気持ちももてないのか とシステムに責められ、さらに無駄な作業が増える気がしないでもない。

こんなことを書いている、ってこと自体、あんまり朝一で待機してもやることないってことだわな。

ということで、最近は金融がらみの仕事を不本意ながらやっています。

ご遠慮ください

コンビニ「携帯電話ご遠慮ください」と張り紙があった。
携帯電話は名詞。 遠慮というのは行為に対する制約。

暴力団、ご遠慮ください」
「犬、ご遠慮ください」

携帯電話が自立歩行するわけはないので、上記の如く、「入店」を制約する言葉ではなさそうだ。

ま、普通に考えれば「通話」なわけだけど、最近の携帯は「音楽の鑑賞」「写真撮影」「メール送受信」「ゲーム遊戯」「WEB閲覧」etc、etcと多機能化しているわけで、「携帯電話する」という言葉が「携帯電話で通話する」と一意で無くなっている気がする。

名詞に、例えば個人名に「する」をつけると、その人の第三者から見たステレオタイプな行為が浮き彫りになるわけだが。。。 自分に「する」をつけると一体何が表現されるのだろう。
携帯電話は器用になりすぎ、芸の本道を見失った芸人のような気がする。 「xxxさんて結構歌がうまいんですね」「俺は、元々歌手だ!!!」と堺正章がかくし芸大会で悲しそうに反論していたのがなぜか急に思い浮かんだ。